やりがいに見合うPR戦略がいるのではないかな。

「募集にあたってはボランティアのやりがいをわかりやすくPRしていくことが必要だ」といった意見が出たとか出ないとか(´・ω・`)

 

www3.nhk.or.jp

 

 報道を観ただけの感想だけども…

 まず広報がお粗末かなと。やりがい=「ハナからギャラはナシ、参加するコトに意義がある、全てはあなた次第」を目指させたいのなら、いっそもしギャラが出る関わり方をした場合、ボランティアの比ではないどんなに大変な労苦があるのか、組織委員会の現メンバーの現状からでイイからアピールしてはどうか。そこで「いまどんな状況」なのか、何が「足りない」のか何が「出来る」のか、という個人からの共感を得た上で、協力者の必要を折に触れメディアの「枠」(テレビ・ラジオの連続ミニ番組や新聞のコラム連載、SNSなどでの専用アカウントからの発信など)を押さえて訴えていった方がイメージしやすいように思う。「全方位募集」みたいな、アマチュアバンドの「当方ボーカル、全パート募集」のように出しっぱなしでアタマの悪い広報はイカンでしょうと。

 遠目に見ていると運営主体である組織委員会は、「大会の雰囲気を醸成する」「成功へと導く活躍」「成功の担い手に」「まさに大会の顔」(いずれも公式サイト「東京2020大会のボランティア活動」 https://tokyo2020.org/jp/get-involved/volunteer/about/ より)といった抽象的でふんわりしたアピールする割に、直接バラバラの個人の資質・スキル・行動力などにばかり期待していて、組織の細やかな運営に対して社会的に鳥瞰する目線そのものが絶望的に不足してるんじゃないか、と思わざるを得ない。

 その上で運営への不安がにじむ。広報からは組織委員会直轄で大量の個人個人を束ねるイメージなのが気にかかるのだ。まず経団連企業や大手広告代理店が主体となった組織的ボランティアを率先して立ち上げ、個人ボランティアを統合的に運営する小委員会か何かを作り、ボランティアに対する責任感を示すのが先だろう。その上でNPOなどと協力して、目的別かつ具体的な項目で募集掛けるのが効率的なのではないか。時間もないし。ボランティアに関する組織概念図( 「東京2020大会に向けたボランティア戦略」 https://tokyo2020.org/jp/get-involved/volunteer/data/volunteer-all_JP.pdf )を見ても、ただ並列的に有給スタッフの横に描かれているだけで、運営と個人の間に立つ企業やNPO法人などによる組織的ボランティアの在り方そのものを想定できていないんじゃないか。あるいはボランティアを運営主体とみなしながら、一方でそこで起きる責任に対応する主体の「顔」が見えない…という感想だ。いやむしろ積極的に責任から逃げられたりしたら困るのだけど。そこへの言及がないのは不親切だ。

 実際の話、ある程度協力企業の名を連ねた名義貸しみたいなカタチだけのモノでも恐らくイイだろう、「気運」の醸成と大枠の「責任主体」の明確化が目的だから。国家から上意下達・翼賛的に国民総動員体制を作りたいのなら、「組織の空気」が日本人は一番ノリやすいし、それにノる人たちなら、ボランティアも厭わないはずだ。ついでに最初にボランティア統合管理の仕組みを作っておけば、名義に挙がる企業の成員や顧客による安定したメンバー構成も期待できる。それをベースに一般個人からの応募も受け付けられる。主体がはっきりしていれば企業成員からのグループ応募もしやすいだろう。またはサクラじゃないが、運営に方向性を与える演出や機運醸成をしたり、メンバーの管理や不審者の監視などを目的として、運営側から身分を明かさず入れる人員を入れる方法もありうる。ついでにボランティア同士の「善意」による隣組的相互監視も出来るワケで、たとえば万が一その中にテロリストが紛れ込んでも一つリスクは下がるだろう。

 なんというか、もう2年前を切っているこの期に及んで、こうもお粗末な大会運営見せられると中々に絶望的だ。事前の売り抜けばっかり考えてるからじゃないですかねえ(・ω・)とイヤミの一言も呟きたくなる。組織委員会は開会のみをゴールとしていて、開会してから起きるコトへの想像力が決定的に欠けている気はする。

…あと人望がなさそうっすね。「そういう発表したらコレコレこういうトコがヤバいですよ」って、誰も気づいても進言してないカンジで。何か日大アメフト問題と重なってきた(´・ω・`)